オモイデ狂いの季節

自分用の観劇・鑑賞などの備忘録。気が向いたときに。ストリップのことが多め。

2021年9月中・美月春ちゃんが引退した話。

が少し遡るけど、6/10の夜はその週の楽日が終わって、覗いたツイッターのタイムラインは、それぞれ違う劇場の楽日を観に行ったひとたちの楽しそうな言葉が飛び交ってた。自分が劇場に行った日でも行ってない日でも、楽日の夜のタイムラインにあふれるちょっとした高揚感を眺めるのが好きだ。

日付が変わってそれもすっかり落ち着ききった時間にそっと放たれてた手書きの、「美月春はストリップを引退します。」の文字を見た時は、ああ…、と思った。まさか、とは思わなかったけど、やっぱり、とも思えなくて、そうなのかあ、の溜め息に近い、ああ…、って気持ちだった。結局その夜はぼーっとしたまま眠くならずに一睡も出来なくて、友達が心配してくれたラインのメッセージも朝になってから見た。大丈夫? とは決して訊いてこないのが優しいなと思った。

 

これは所謂おきもち長文、ただのオタクの激重回顧録なので読まなくて全然いいやつです。自分の気持ちの供養のためにふりかえるだけのやつ。元々このブログもそれまでの期間限定で回顧として書こうかなと思っただけだった。その割にはすっぽり八月の記録が抜けてるし。いい加減すぎる。でもこれだけは書いてから終わりたい。自分のための回顧録だから。

 

美月春ちゃんは私が最初に好きになって、それからずっと一番好きな踊り子さんだ。四年前の秋に初めて出会った。ストリップ劇場に行くのは二度目、その二週間前に初めて劇場に行った時はとにかく全部が目まぐるしくて何だこの感覚!?って、同じく初のストリップ観劇をした友達と五時間語り倒してもその高揚の正体がわからなくて、もう一回観たらもう少し冷静に突き止められるかな…と、同じ道頓堀劇場に今度は一人で足を運んだ。

私はフットワークが軽くデータ収集タイプのオタクなので、今度はお名前とお顔くらい一致させておきたいと思いこの日の香盤に出る踊り子さんの名前から、プロフィールや前情報をわかる範囲で調べてから行った。このみづきさんって名前のひと、私の好きなアイドルアニメの女の子と同じ名前だ、自分で同人誌描く踊り子さん? へー、どんな人なんだろう。

一度目よりも二度目のストリップ観劇のほうがやっぱり落ち着いて観れて、調べておいた踊り子さんたちのお名前とお顔を一致させながら楽しく観た。その四番目、道劇チームみづきしゅん、のアナウンスを聞いて、あれってはるじゃなくてしゅんって読むんだ、と初めて知った。

この時のステージで出してたのは、4周年作だった「愛の讃歌」。当時黒とピンクのツートンに染めていた髪と強い眼差し、おっきくて形がよくて見るからにやわらかそうなおっぱい、王道バーレスクっぽい感じなのかなと思ったのにそれよりもちょっと尖った選曲が、あっこれは完全に好きな女の子のそれ…と思って見惚れて、その演目の大胆な解放感のあるポーズベッドの最後、愛を返すように宙に大きく投げキスする仕草によくわからない涙が出そうになって、たった一度の15分?16分?で、多分この子のこと好きになった、どうしようと思った。とにかく素敵だったということだけ伝えたいけど、なんだっけ、写真撮影の列に並ぶんだっけ、ていうか他に女の人いないけどそもそも女が並んでいいものなんだっけ、本当に迷惑じゃないかな?と、前回もみた光景だし下調べもした筈なのに全部トんで混乱極まる頭を奮い立たせて列に並んだ頃には春ちゃんはさっさとポラ着を脱いで「脱ぎ」になってしまっていた。

目の前に来るとステージでみるより体がちっちゃくて、強いなと思ってた目は笑うときゅうと細くなってその仕草がかわいくて余計に頭が混乱した。初めましてですよね、って言われた後はよく覚えてない。とにかく貴女が素敵だったとか会えてよかったですとか早口で一方的に言って、なんとか写真を撮って、握手をしてくれた。ぎくしゃく離れようとしたら、私きのうまで風邪で熱あったから、念の為うつさないように消毒しようって消毒液を手のひらに伸ばしてくれて、手の柔らかさにドキドキしつつ、おだいじにしてください…とかむにゃむにゃ返してしまい、居た堪れなさになんかもう消えてなくなりたかった。自分は女の子のアイドルとか、インディーズのバンドの現場も色々通って打ち上げも行くくらいだったから、本人接触系のイベントには慣れていたつもりでいたのに、今までと全然違う。いちばん緊張したかもしれない。体ひとつであれだけのもの見せてくれて、まして、その裸をみたばっかりの女のひとと喋るのなんてそれまでと全然わけが違う。無理じゃん。

その日は夕方から友達の結婚祝の宴席があったから次の回までは居れなくて、写真は受付返しになった。受け取った写真を見て自分に心底がっかりした。手が震えてるせいで全部ピンボケしまくり。雑魚かい…とがっくりしてたら、多分その代わりにと、おまけの写真を1枚入れてくれていた。受付返しなのに、サインとメッセージを書いてくれてて、また会おうね、と結んであって、あっこれはもうダメです…と思った。多分じゃなくて完全に好きになってしまった。

あれから数百枚はポラを撮ってるから会心の可愛い写真は沢山あるけど、アングルも冴えない上にピンボケしまくった写真は今も宝です。全部宝だけども。写真は別に撮らないかな、肌色多いと保管に悩みそうだし…とか最初に言ってた自分は何処に行ってしまったのか。専用のアルバムは増え続けたし、最初は恥ずかしくて撮れなかったツーショットもほんとに沢山撮った。自分の顔の造形は全然嫌いじゃないけど特に好きって程でもなくて、でも一緒にうつってる自分は幸せそうな顔してるから結構好きだ。遺影にしてもらおうかな。

 

とにかく私は熱しにくく冷めにくいオタク体質なぶん一度ハマるとそこから先は早くて、香盤を調べるということを覚えてから、行ける週は全部行っておきたいと思った。他の地方にも行ったし、限定の演目をやると聞けばストリップ劇場外のイベントにも行った。楽しかった。春ちゃんの世界をもっと観たくて知りたくてそれが全部だった。友達にもこんな面白い娯楽を知って欲しかったし、あわよくば春ちゃんのステージも観て欲しかったから、私が楽しそうに劇場の話するのを聞いて、興味あるって言った人たちはとにかく次々連れてきた。数えてないけど累計して二十人くらいは連れてきたと思う。そう考えると自分で思ってたより友達多いかもしれない。

最初に一緒に行った友達とは今も一番よく連れ立って行き続けてるし、その彼女とも喋る話がある。可愛い女の子がみたければアイドルをみればいいし、上手くて素敵なダンスをみたければダンサーさんのそれをみればいい。裸が見たい・触りたいならそういう場所だってある。でもストリップはそのどれにも近しさはあれどどれにも当て嵌まらなくて、演出も主演も全部を一人の女性が身ひとつで自作自演するもので。芸術的と感じることもあるにはあるけどそれ以前にちゃんと風俗だし、色々な側面を持ち合わせてて色々な見方をしてもいいとにかく自由なエンタメだと思ってて、だからこんなに好きで何度みても飽きないんだろうね。とか、そんなような話。

最初からそんなだから、春ちゃんが出演する以外にも気になる香盤があればフットワーク軽く劇場に向かう日々が続くうち、好きだと思う踊り子さんも沢山増えた。でもずっと私の真ん中にあるのは春ちゃんのステージで、彼女の早いペースでの新しい演目をみるたびに喜んで感想をしたため、何がどう好きかを語り倒し、手紙じゃ足りずに小冊子形式にして渡して「魔導書…?」とビビられたことすらある。さすがに重かったと反省してる。

写真のコメントが時折は交換日記みたいになったり、自慢したいくらい嬉しいけどやっぱり私だけのものにしておこうと思う言葉や気持ちも沢山もらった。好きなものの共通点が割とあるのもうれしかった。私は伝えたくて勝手に伝えてただけだからただの押し付けだけど、私の一番は春ちゃんだって春ちゃんが知っていてくれてるのは嬉しかった。

 

推しは推せるうちに推せ、とか、最近はよく聞く言葉だ(私はこの言い方も、推しって言葉も自分がするのはあまり好きじゃないけど別の話なので割愛)。長いオタク人生を送ってきて、突然解散脱退ならまだよくてメンバーが逮捕されたり死亡したバンドも、そんなそぶりはみせなかったのに急に“卒業“したアイドルも散々見てきたから、感覚としてはわかる。踊り子さんも、体を壊したり怪我でお休みしてそのまま戻られなかったり、ふっとお名前がなくなっていたり、事情があってもなくてもその人の決断だからそういうものだろうと思うけど、とにかくそういったことは決して珍しくないらしいのはわかってたから。

とにかく、後悔をしたくなかった。春ちゃんに対してだけは、もっと伝えていれば、とか、もっと観に行っていれば、とかそういう類の後悔をしたくなかった。絶対しないのは無理でも、後悔はなるべく少ないほうがいい。

そう思ったのもあるし、何より春ちゃんは常に「今日が一番よかった」て思う舞台をみせてくれたから。私にできる範囲でだけど時には少し無茶してでも多く足を運んだり、しつこくずっと一番って伝えていたのもあって、春ちゃんが引退を発表した時にも、もっと沢山会いに行ってたら…、とかそういう類の悔しさは殆ど無かったのは幸いだ。

でも、直後にSNSのあちこちで、彼女らしいとかあまりにも惜しいとかの惜しむ言葉をみるたび、正直悔しい気持ちにはなった。滅茶苦茶に身勝手な自覚はあるしどうせ私は嫌われ者だから言ってしまうんだけど、引退日に向けてお客さんが毎日いっぱいになるのも、賞賛の嵐になってたのも、ねえ~~~そうだよね!と思えてすごく嬉しいのに、本当は少し悔しくもあった。普段からあんなに“今”が一番かっこよかった春ちゃんをみてないひとがまだ沢山いたんだ、というのが単純に悔しかった。えっ怖っっっ。滅茶苦茶に身勝手でこえ〜オタクの意見だけど、終わったことなので許されたい…。私の情緒も乱れてたんだと思う。第一こんな時勢だし、来たくても来れない人、来たくても来ない選択肢をとっている人が沢山いるんだから当然なんだ。この感情はたぶん私が間違っている。私は葛藤がありつつも私のわがままで劇場に行くのは止めなかっただけだからね。

 

引退が発表されたときは、三か月あるし今までどおり取りこぼさないようにステージを観ればいいと思ってたけど三か月なんてあっと言う間だった。春ちゃんの名前の横に「引退」と書かれたポスターが劇場に貼られて、いよいよ9月中が始まってしまった。寂しいけど、やっぱり、これが区切りだよと教えてくれたうえで会う時間や機会を作ってくれるのは有り難かったな。六月はそう言い聞かせてただけだけど、九月には素直にそう思う。

前日までは情緒ぐしゃぐしゃで迎えた引退週も、始まってみれば初日からお祭りみたいで毎日本当に楽しかった! 春ちゃんが自ら共演のお姐さん方全員分用意した某漫画卍の特攻服を翻してのニ回目だけの特別フィナーレや、三日間だけ再演された春ちゃんと京はるなさんのセックスバイオレンスで最高に刺激的なチームショー。共演は春ちゃんと縁の深いお姐さん達ばかりで、いろんなところで皆さんの愛情深さを感じた。以前から好きだと思っているお姐さんばかりだったけど、もっとずっと好きになった。ひとつひとつ演目の感想を並べたいけどきりがないから別の話にしよう。

出来る限り色んな演目を毎日出してる春ちゃん本人は肉体的にも精神的にも消耗してたと思うのに、写真の時間のとき常に明るく元気に振る舞っていて、それを見てるとこっちも湿っぽくはしねえぞと背筋がしゃんとなった。演目を観たら心が動いてつい泣いてしまうこともあったけど、まあそれはそれ…。

これまでだって何処で何の演目を何度見ても嬉しいと思えたし、本人の心のままに演って欲しかったから最後の週の演目リクエストは出せないままだったけど、歌舞伎の弁天小僧をモチーフにした「弁天桜」、落語の演目から着想された「死神」のふたつは特に、美月春だけが演じきれる物語を感じさせてくれる演目だと思ってて本当の本当に大好きで、最後にもう一度観れたらな…と密かに願ってたから、また観れたことには感激した。水を被ると性別変わっちゃう某まんがモチーフのひたすら元気で可愛い「1/2」や、清姫の狂気だけじゃなく悲哀まで演じきる「道成寺」とか、久しぶりの演目を多く観れたのも嬉しかった。

楽日の演目は「truth」を演ること以外は伏せられていて、何を出すんだろうね? と、友達と予想を立て合ったりして(結果からいうと三つ中二つは当たりました!)それくらい健やかにこの週を楽しめていた。

 

ちょうど楽日がかかる世間の三連休前、台風の影響で天気が荒れた日があって、そういえば私デビュー週にも台風来てたんだよね、って写真の時に言ってたので、嵐を呼ぶ女みたいでかっけ…とか軽口を叩いたけど、台風で休館にでもなったらたまらないぞと実際には心配していたので、当日はスコンと晴れて安心した。快晴の朝の光を反射してぴかぴか光る看板の写真を撮った。

劇場は一回目から満員で、今日の進行は基本的にずっとダブルダブルピンという告知や進行状況のアナウンスが共演の踊り子さんのSNSなどでも何度もされ、満員ながらも順調に時間は進んでいった。大入りも出てた!めでたい!

 

春ちゃんの一回目「たこさん」。みんな好きだもんね! だって理屈抜きにかっっっっわいい。キャラデザが天才なんですよ。北斎春画からの着想でこの衣装になるとか、選曲とか、そういった細部にまで光る春ちゃんっぽいセンスが本当に最高なので、この演目の人気が高いのも大納得だ。一時期たこさんのおうちである壺が壊れてしばらくお休みされてたから、二年ぶりにこのタイミングでまた観れてよかった。

やらしく脚を動かすたこさんと睦み合うシーンがコミカルなのにめちゃエッチで好き。陽性のエロス。そこからたこさんといちゃいちゃしながらポーズ切ってくところも明るく可愛くていいよね…になる。いいよね…。

 

二回目は「死神」。私はこの二回目に違う演目を予想してたので外してしまったけど、結果それは嬉しい誤算だった。死神はすごく個人的な思い入れもある演目だったし、春ちゃんといえば、で浮かぶ演目の筆頭だと思うから。

落語から始まって、どんどん深い色を変えていくこの演目、題材から衣装選びから選曲から小道具使いから構成まで全て最高に美月春の世界だ…と観るたびに思う。にこやかな噺家さんの顔が一転、がくんと首を落として再び上げた時にはヒトならざる何かが憑依した面貌になる瞬間は毎回シンプルに怖い。新鮮にぞくぞくする。

亡骸に口づけて、愛しいひとの魂を呼び起こして一晩だけ愛し合う、という勝手な解釈で私は見ていて、そうだとして、肉体が朽ち果ててたとしても好いて好かれ抜いてる相手としてるんだなというのが伝わってくる。激しくて少し哀しいエアセ…後、とぼとぼ本舞台に戻っていって客席側をみるときの、こちらを見てはいるんだけど何処を見るでもないあの目に胸を突かれてしまう。満員の客席も圧倒されて張り詰めた空気になっていて、全部終わって照明が落ちたあと、拍手するのが数秒遅れてたくらいだ。なんかもう、凄かったな…

オープンショーのとき、春ちゃんが「死神」の骸骨の髪飾りを外して私の手に乗せてくれたの、一瞬なにが起きたかわかんなくて、近くにいたお客さん達がしてくれた拍手で把握して、年甲斐なくその場で大泣きしてしまった。一生ものの守り神だわこんなん。死んだら一緒に棺桶に入ろうな……

 

三回目「truth」は、引退作と呼ぶんじゃなくてクライマックス演目なんだと本人が云っていた。美月の名前が表すように、衣装の色やモチーフや照明からも月の光を連想する(某美少女戦士まんがの月の王国の王女様のことも少しだけ…)。選曲も全部気持ちや意味を込めてるんだろうなと思う。全部大事。数年前、劇場じゃないイベントで春ちゃんが披露していたショーの中で使っていた曲が、この演目のベッドでも使われていて。そのイベントの中で春ちゃんは自分の話をしていたんだけど、その時に触れていた「踊り子を続ける理由」のことを、その間じゅうぼんやり思い出しながら観てた。

とても綺麗だけどそれだけじゃなくて、選曲や仕草のそこかしこにほんのちょっとの毒っぽさもある。後光が射すティアラをつけてご機嫌な女神様みたいなのに、ふざけんなって笑って中指を立ててくれる顔が本当にどうしようもなく人間で、ああなんかすごく春ちゃんっぽいな、と思うのに、それまで観た春ちゃんのどの演目よりもやっぱりきらきらして綺麗だと感じて、悲しいわけでもないのに涙がいっぱい出る。

truthを一番最初に観たのは8中の渋谷で、その時は色んな感情が押し寄せてきて耐えられなくて、演目を観た直後に、客席外の階段の下で一人でわんわん泣いた。あの時よりも今がずっと綺麗だと思ったけど、もっと静かな気持ちで観た。片足だけを高く上げるブリッジも美しく決まるようになって、指先の動きはもっと繊細になって、クライマックスを迎えようとする最中にもずっと進化してたんだなあと感動した。

 

最終回、ラストの演目に選ばれたのは「6周年作」だった。ステージのライトが点いて、あの真っ赤で華美な衣装がぱっと現れた瞬間に、ステージの上に花が咲いたようにも見えるし、火が灯ったようにも見えるのが好き。この日は燃える花みたいに見えた。

決して芝居っ気が強い演目じゃないのに、架空の一人のストリッパーを体現してるみたいな、その生き方も内包してるみたいに感じさせてくれる作品だとずっと思っていたから、最後にこの6周年作なのは、なんだかすごくしっくりくる気がする。

ちょっと昭和っぽい選曲にあわせて(あんなにインパクト強くて一度聴いたら忘れないような一曲目がどこ探しても音源どこにもないのってなんかすごくない?)真っ赤な衣装と口紅で見せつける堂々たるストリッパー然とした魅力と脱ぎっぷり。それと、あの華美な衣装を脱ぎ去って、白いスカートを翻す「俺のあの子」の、奔放で茶目っ気があって、煙草の灰を落とす仕草に見えるようにあけすけで少し蓮っ葉な振舞いを覗かせてくれるコントラスト、春ちゃんが演じてる、ひとりの女のひととしてのストリッパー像がとてもいい。

激しいオナベと潔いポーズの後ろに流れる曲の、吐くまで踊る、というフレーズに、初めて観た時にはそう来たかと驚いたけど、すぐにそうでなくちゃと思うようになって、どの劇場で観ても本当に好きな演目だった。演目の最後、本舞台に戻ってから一礼して見せる表情にいつも胸を掴まれた気分になっていて、この日はいつもよりも強く心臓の裏あたりが熱くなる。渋谷、上野、大和、まさご、どのステージのスケールで観てもよかったこの演目だけど、私にとってやっぱりホームの道劇で観る春ちゃんはずっと特別だから、引退週が渋谷で、最後のステージでみるのがこの演目で幸せだった。

 

最終回のポラは無いからそのまま最後のオープンショー、劇場中の客が愛を手渡すのに、くしゃくしゃの泣き笑いで一人ずつにありがとうと返したり、一部のお客さんに衣装や香水を手渡す春ちゃんを見てなんかもう意味わからんほど滅茶苦茶に泣いてたんだけど、共演の踊り子さんや、それだけに留まらず他の場所から駆け付けた踊り子さんたちがご祝儀を渡して、笑ったり泣いたりしながらひとりずつ春ちゃんと抱き合うのをみたとき、マジで吐くんじゃないかと思うくらい泣いてしまった。オープン曲がアンコールしても中々鳴り止まなくて、ずっと終わらないでほしいくらい幸せな景色だけど、こんなに幸せな終わりで本当によかったと心から思った。寂しくて寂しくて仕方ないのに、今日このまま死んじゃってもいいかもと思えるくらいには幸せだった。ふわふわした足取りで劇場を出たら月が綺麗で、最初にストリップを観劇した時にも一緒だったしこの日も一緒だった友達が、四年間おつかれさまっていうのは少し違うかもしれないけど…って私にプレゼントと手紙を渡してくれて、私もスト客引退するのか!?!?ってびっくりしつつその気持ちが嬉しすぎてまた泣いてしまった。泣きすぎ。スト客は引退しないよ。薄〜い客にはなると思うけど…

 

最後の週に返してもらった写真の裏に、色んなとこ一緒に行ったね、と書かれていたけど、私は春ちゃんに色んなところに連れてってもらったんだと思っている。土地もそうだし、演目の世界でも。どの場所で、同じ演目を何度みても私にとっての同じ景色はひとつもなくて、どれも全部大事だった。演目の楽曲でつくった幾つものプレイリストを聴いてもステージ写真を見ても、全く同じようには思い出せない。でも、きっと考え抜かれた選曲、まばゆい照明、光る盆、焚かれてるスモークのにおい、香水のにおい、衣装の色、指先、自分の五感を全部働かせて受け取ったものは忘れたくない。

ちょっと気性が激しくて不器用にも見える時も偶にあった春ちゃんが、「舞台にしがみつく」という言い方をして、自身の好きなものや大切にしているものに対して背筋を伸ばして真摯に向き合っているようなところが私はとても好きで。芸事の世界の人の事を好きでいる上で、姿形や芸だけでなく、そういう気持ちの面でも好きだといえるのは私にとって幸運なことでした。

春ちゃんがストリッパーじゃなくなっても、ストリッパーの美月春がくれた沢山はずっと鮮やかなままだし、私の中で多分一番色鮮やかな四年間になった。見つけた一番星が偶々めちゃくちゃ燃えて輝いてる隕石で、心臓に風穴があいたみたいだと思ったんだった。私はずっとオタクで趣味は多い方だから好きなものがストリップ以外にもいっぱいある、なんならストリップでも好きだと踊り子さんは沢山いる、でも絶対に春ちゃんでしか埋まらない穴が私の中にあるって本人にも伝えたことがあって、それは変わってなくて、多分ほかのものでも、ほかの誰でも埋まらないまんまだと思う。でもそれでも全然いいや。春ちゃんの形に空いた穴なら全然いい。その穴も自分の一部として愛でていこうって今ならちゃんと素直な気持ちで思えてる。

一番最後の手紙の終わりには、またねって書いた。生きてりゃまた会えんじゃん。先の事なんてわかんないけど、そう思っといたほうが長い人生たのしいもんね。

 

8年間、劇場で踊り続けていてくれてありがとう。ストリッパーの美月春に出会えた私は、本当に幸せ者でした。

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