オモイデ狂いの季節

自分用の観劇・鑑賞などの備忘録。気が向いたときに。ストリップのことが多め。

舞台「モダンボーイズ」がコロナ禍で彷徨うエンタメ好きたちの魂を救う(2021年4月の転載)

(※2021年4月の舞台上演時にふせったーで書いていたものの転載です)

 

新国立劇場加藤シゲアキ主演の舞台「モダンボーイズ」を観た。

日中戦争前夜、共産主義の大学生・矢萩奏が、浅草のレビュー小屋に匿われたことを切欠にして、エノケン一座のスタア・浅草エフリィとして花開き、弾圧の時勢下で自分の想う革命を志す。エンタメが不要不急扱いされるこの時世にこそ観てよかったと心から思える素晴らしい舞台だった。
自分達なりのエンターテイメントが、何らかの形で誰かを僅かでも救うと信じて「どんな時も劇場の扉を閉めるな。ステージの幕を開けよう」の信念のもと動くレビュー人たちの生き様が、私が愛して通っているストリップ劇場の色々とも想いが重なる部分があって(個人の感想です)思わぬ方向からも胸に刺さるものがあった。
中でも、劇中でトップスタアになるシンデレラボーイ、浅草エフリィを演じた加藤シゲアキの「東洋一のモダンボーイ」の謳い文句負けしない風格と、憂いを帯びた色気がすごい!というのを言いたすぎる。

 

私自身はジャニーズ事務所に所属するタレントの方々に特に興味がない、所謂非ジャニオタの人間。でもオタク人生が長いから周りに色々なオタクがいるので、熱心なジャニオタが周りに割と居た。好きな友達が好きなものについて話すのを聞くことは好きで、そういう経緯で自然と詳しくなるから、NEWSというグループについてもそんな感じで好ましく思っている。
死ぬほど趣味とバイブス合う友達がNEWSを「信仰」している熱心なNEWS担で、ついでに彼女が話上手のプレゼン上手なお陰もあり色々と見聞きすることが多かった。今回も、彼女にこの舞台へと誘ってもらって、軽い気持ちで観に行った。
NEWSに関しては巧妙に仕込まれ続けるサブリミナル英才教育を受け「山Pがいたとこ…?テゴマスのいるとこ?あっ、手越は辞めたんだっけ…?」っていう一番多そうなお茶の間層に比べると、彼らのことは多少は知ってるといえる程度、だと思う。そのくせ好き勝手言うから許してっていう予防線ですこれは。


加藤シゲアキが演じる役に「東洋一のモダンボーイ」って呼び名つけた人、天才…?

「花の帝都に彗星の如く現はれ レビュウの空にひと際輝く 東洋一のモダンボーイ 浅草エフリィ」って謳い文句考えた人、天才ですかって。なあおい…
加藤シゲアキさんって所謂、昭和の二枚目って云われる系統のお顔だと思っているんだけど、黒髪を撫でつけて真っ白なスーツでしゃんと背筋を伸ばした立ち姿が、東洋一のモダンボーイと呼ぶには相応しすぎるんだって。こんなに美しい男居るのかってびびったじゃんって。一幕目の、黒い詰襟の学生服でいかにも繊細そうな佇まいからの「差」が効きすぎてるんだって。いくらなんでも花開きすぎてんだろって。なあ。なあって。助けて。
私があの時代のあの世界に居たとしたら間違いなく「黒曜石のような貴方の瞳が瞬く度に僕の胸が苦しくなる」とか「貴方の立つ姿はまるで一輪の白い薔薇だ」とかセンスねえ文章を毎回手紙にしたためて毎回楽屋に花束を贈る気持ちの悪いモブおじさんになってたと思うからマジで危なかった。エフリィ様の黒曜石の瞳が瞬く度に星が煌めくのは本当のことなのですが…

モダンボーイズは「洒落男たち」のタイトルで、27年前にも演じられている。矢萩は、当時物凄い勢いでスターダムを駆け上がり始めた22歳の頃の木村拓哉が演じた役で、矢萩が共産主義者の帝大生というのは変わらないけど、歌が好きというだけの青年で、それがステージに立てば「ロクに練習をしなくても上手くいっている」と言われ、それは彼が「舞台に愛された男」だからだと劇中で語られていたらしい。これは、当時の木村拓哉自身のスーパースター性を考えるとさもありなん…感がある。現にそれから一時代を築いて、男性アイドルの歴史を変えた人でもあるし。
27年の月日を経て脚本がブラッシュアップされたという加藤シゲアキ版の矢萩にはその設定は無かった、というか少なくとも劇中でそういう語られ方はしてなかった。下の名前と芸名も変わってる。(ついでに、長い金髪にド紫のスーツで薔薇をくわえてあだっぽく少しいかがわしげな木村拓哉の浅草エディと、撫でつけた黒髪に白スーツで見るからに清廉潔白な加藤シゲアキの浅草エフリィでは正反対のキャラデザになってるのも完全に“善”でしょ)
青森の裕福な地主の家に生まれて、音楽教師の親のもとで「奏」と名付けられ、名の通り音楽にも造詣の深い豊かな教育を受けてきて。結局そのことが本人のコンプレックスになり、上京してからは共産主義に傾倒、革命を志して社会運動にも参加するようになった矢萩奏。
今回の舞台「モダンボーイズ」の主人公は加藤シゲアキ演じる矢萩だけど、「洒落男たち」の主人公は、木村拓哉演じる矢萩が一座に入ることになった直接のきっかけでもあるエノケン一座の座付き作家の菊谷さんの方だったようだから、今回では矢萩を主人公に据えるにおいて、矢萩という人物を更に掘り下げて改変した結果なのかもしれない。でも、今回の矢萩奏の真面目で繊細そうな人物像が、加藤シゲアキの纏う、いつも少し憂いのある独特の雰囲気にめっっっちゃくちゃ噛み合ってたし最大に活かされてる気さえした。自分の思想やそれまでしていた社会的活動と、レビュー人で在る自分とのギャップや矛盾に苦悩する姿もまたよかった。
印象的なシーンは数多くあるけど、特に忘れられないのは劇場に出入りしてい清掃のおばあちゃんとのシーンだ。ネタバレしちゃうので詳しくは割愛…。そこからも伝わるように、浅草エフリィは優しくて輝かしい、正しく大衆のためのスタアで、この舞台の最高の主人公だった。

私が観劇した日、3回目のカーテンコールで、一人で出てきた加藤シゲアキスタンディングオベーションする観客に対して、投げキスを送る仕草が、2回目までのカテコで観客を前にお辞儀をした加藤シゲアキじゃなくて「浅草エフリィだ!!!!!!!」ってなってつい出そうになった叫び声を飲み込んだ。キザな伊達男の仕草で投げキスして、色めき立つ観客を一瞥してから劇場の扉の向こうに消えてく姿が、もう完全にスタアの浅草エフリィだった。お見事すぎる。

喜劇王と呼ばれたエノケン氏のことはうっすら存じていても、エノケン一座の座付き作家だった菊谷氏が実在した人物というのは私の知識不足で全く知らなかった。
劇中の菊さんの言葉や生き様には本っっっっっ当に感銘を受けっぱなしだったから、実在の人物と知って俄然興味がわいた。少し調べたら本が色々出てるみたいなので、読んでみようかな。
観劇後に関連インタビューを読んでいて知ったんだけど、「洒落男たち」では主人公だったその作家の菊谷を加藤シゲアキが演じるという選択肢も有りでは…と脚本家の方からは忖度があったらしい。加藤自身が作家でもあるから、重なるところもあるのでは? と。
でもそれを断って、憧れである木村先輩がやったことを継承したい、作家でなく一役者として挑戦したいと申し出て、ならばと脚本を更に大改訂して大人のドラマに仕上げた……のことで、加藤シゲアキ〜〜〜かっこい〜〜〜〜って率直に思いました。かっこい〜〜〜〜。
私は一番好きぴなストリッパーさんに愛をお伝えすることが多いんだけど、私は貴女の気持ちも好きだ、芸事の世界のひとを好きでいる上で、姿形や芸だけでなく気持ちを好きだと言えることはとても幸福だ、と伝えたことがあって、そのことをなんとなく思い出した。
だって、好きな人が、自分の大事にしてるものに背筋を伸ばして向き合って最高の仕事をしている…、と感じられるのって、ファンとしてすごく幸せじゃないですか?
だからこの舞台を加藤シゲアキ担の方々が観たらめちゃめちゃめちゃめちゃ幸せなんじゃないかな〜〜〜!!!!って思いました。いいな〜〜〜!!!


あと、常々私にNEWSのライブを一度生で観てほしいと言ってる友達が、この日の舞台のチケットを苦労して取ってくれたのに「私の力不足で、ライブに連れていけなくてごめんね………本当だったら初のシゲはライブで見てもらいたかったんだけど……」と謝ってきて、なんで謝ってんの!?!?!?お前NEWSの何だ!?!?!?ってめちゃめちゃウケてしまった。本当に何?
でも、サブカルオタクの私には加藤シゲアキの何かが刺さる筈とピンポイントにオススメし続けてくれてたお陰でちゃんと刺さる部分があったし、今回の舞台もきっと好きな筈だと信じて私を誘ってくれたのは嬉しかったし、実際に観てよかったと心の底から感じる作品だったよ。ありがとうね。次はライブで、アイドルの加藤シゲアキさんにもお会いしたいです。